信州の鎌倉を走る上田交通 丸窓電車 下之郷駅にて 2010.10.13
上田電鉄は、長野県の上田〜別所温泉を結ぶ路線で、現在は元東急の7200系が使われていました。車両はワンマン改造されたものの、内装・外装とも大きな変化は無く、東急時代の面影を残しています。また2005年10月1日に上田交通から上田電鉄に会社名が変更されました。残念ながら7200系も廃車されて一編成は豊橋電鉄で活躍してるそうです。写真の7253Fは、昔の丸窓電車カラーに変更されています。 |
丸窓の旅 丸子にて 長野計測 2011.8.30 |
丸窓電車とポッポ
ローカル線ガールズのかつみさんは、ジョナサンの愛犬ポッポを連れて『信州の鎌倉』別所温泉に出かけました。別所温泉駅の側線には丸窓電車の愛称で親しまれたモハ525系が2両ありました。当時を思わせる今にも走り出しそうなそんな風格が残ってました。 |
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上田交通別所線 ○長野県 ○上田〜別所温泉 11.6キロ ○1921年開業 ○1924年全線開業 2011.8.30 撮影 |
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私の生い立ち モハ5251 1927年日本車輛製の電車。 5251?5253の3輛があり、これはトップナンバー。 昔の私は、木張りの車内でニス塗り。手すりなどの金物は真鍮で、仏壇のようにピカピカに磨かれていました。そしてなんといってもこの丸窓が特徴です |
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私の名前 モハ5251が私の名前です。昭和61年まで信州の上田交通別所線でで活躍していました。 いまはさくら国際高校の校庭でのんびり過ごしています。 私の隠居の住処はジョナサンに聞いて訪ねて下さい。 待ってます。モハ5251より 2011.9.14 |
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丸窓電車
上田中心に路線を東西南北張り巡らせていました。別所線は唯一生き残った貴重な路線でした。1986年まで木造の古い車両が大活躍していました。5250形は丸い窓があるクラシックなムードがあって大変人気がありました。 |
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車輪の向こうで考えたこと モハ5251の床下から校庭で遊ぶポッポを確認。 |
緑の校庭で モハ525 校庭の中央に線路が引かれています。 |
石湯 大河小説「真田太平記」には、別所の湯がしぱしぱ登場する。物語りの中で重要な位置を占める向井佐平次が真田幸村と初めて逢うのも、その幸村が女忍者お江(こう) と結ぱれるのも、別所の、岩の間から湧き出す温泉の、白い湯気の中だった。そして、関ヶ原の合戦には真田の忍者草の者達が、別所の里に身をひそめて、上田城に籠城する昌幸親子をじっと見守るのである。別所の湯、それは真田氏にとって大切な隠し湯だった。今も豊かに岩の間から湧きだす温泉 石湯。その前にたつ「真田幸村公隠しの湯」の標石は、真田太平記の作者、池波正太郎氏の筆である……。
大師湯 天長二年(八二五年平安時代)比叡山延暦寺の座主円仁慈覚大師が北向観音堂建立のため当地に来錫の折 好んで、入浴したので大師湯と名付けられた。かつては北向山に参詣した籠の者が夜通し入替わり利用したので籠の湯ともいわれた。昔矢傷を負った堆子が湯あみして傷をいやしたので「雑子湯」とも呼んだこともある。安楽寺開山樵谷、二代幼牛の両禅師の木像(重要文化財)が夜な夜な入浴されるので、尊貴をおそれた村人が遂に木像の目玉を抜きとったという話もこの大師湯にまつわる伝説である。
大湯 木曾義仲は正月末から葵の前を連れて信濃の別所の温泉へ療養に来ていた。「葵、もうここも飽いたであらう」「いいえ、飽くなどはおろか、殿とこうして居るならば、いつまでもと願うております。殿は」「おれか、おれは正直飽き飽きしたな、二十日あまりこう湯浸しでは」「まあ、わらわの為にさぞお辛そうな。申しわけない事でございます」「や、怒ったか、葵」 御湯屋はにわかぶしんだが木の香も新しく湯は湯槽にあふれて清々と流れているーこの建物さえ彼女に療養させる為に義仲が急に命じて造らせたものである…。(吉川英治著「新平家物語」巻十三より)
信州の鎌倉 別所温泉
上田市の南西に広がる数キロ四方の 盆地を「塩田平」とよんでいます。上 田駅から別所温泉まで、電車が走っていますが、その沿線一帯をいいます。まわりを見ますと、南に姿のけわしい独鈷山・富士岳、西に夫神・女神の二つの山が聳えています。これらの山々から湧きだした清らかな水は、産川・湯川・尾根川などとなって、千曲川に流れていきます。 塩田平というのは、これらの川をふくめた全体のよび名です。土地が肥え、気候が良いため、昔からお米の産地であり、江戸時代には「塩田三万石」といわれ上田藩にとってだいじな場所でした。ところで、この地域は、全国でも数少ない文化財の宝庫であることが分かってきたのです。
歴史の古い生島足島神社、日本でたった一つしかない八角三重塔(安楽寺・国宝)、中部日本で最も古い建物といわれる中禅寺薬師堂(重文)のほか、常楽寺の多宝塔(重文)、長福寺の「夢殿観音」(重文)、前山寺の三重塔(重文)、舞田の五輪塔、西光寺の阿弥陀堂、東前山の塩田城跡など、国宝や重要文化財・県宝などがたくさん集まっているのです。 これらの大部分は、鎌倉時代から室町時代にかけて作られたものですが、このほかにも石で作られた五輪塔や多宝塔などこの時代のものがたくさん残されています。中世の文化財が、これほどかたまって残されているところは珍しいので、戦後、この地域を「信州の鎌倉」と人々が呼ぶようになりました。
信州別所温泉観光案内より