? ジョナサンリレー随筆

オーナーの独り言

ジョナサンリレーエッセイ NO6
八ケ岳に暮らすまで

東京暮らしは29年、信州八ケ岳富士見高原プチペンション ジョナサンをオープンして今年で28周年になります。親戚や友人のいない富士見町でペンションを開こうと思ったのは私が17才の都立高校2年生の時でした。親友と山岳部の部室で山談義に弾んでいるときでした。親友は『将来おれは金魚やになる』と言い出します。突然の事なのでびっくりしました。親友は学年のトップを常に走っている秀才です。このままいけば東大、早稲田慶応に現役で合格して国家公務員上級職のエリートもしくは一流会社の研究職につけるくらいの頭の持ち主でしたので、、。私はと言えば、、、。学業もぱっとせず、山歩きと鉄道写真に熱中している位でした。

それから7日間将来の事を真剣に考えました。そして答えが見つかりました。山小屋ロッジを経営するぞー、、。当時はペンションという単語は知りませんでした。とりあえず山で生活しようと思いました。ですから大学も農学部に入学しました。

昭和51年に卒業になりましたが、アルバイト先(国鉄新宿駅)の先輩から東証1部の会社に入社出来たら3万円あげると言われていたのでがむしゃらに就職活動をしましたがことごとく粉砕しました。ワープロのない時代ですので履歴書も手書きなので大変でした。残念ながら先輩からの3万円は夢に消えましたがなんとか就職出来ました。千代田区大手町の読売ビルに本社がある小さな会社でした。中央線でたっぷり60分の乗車時間がかかる通勤は私にとってとても苦痛でした。残念ながら大手町の会社は2年余りで退職しました。

その後再び就職するまで約1年と3ヶ月間は大分県の仏の故郷と言われる国東半島のYH(ユースホステル)で居候生活をしていました。国東半島は天台宗のお寺が沢山あります。その後国東半島の生活を切り上げて就職活動再開の為に東京に戻ります。

山の暮らしの夢はすてきれず上高地帝国ホテルのアルバイトを初めて長野県で経験しました。上高地暮らしの2ヶ月間は今も鮮明に脳裏の中に刻まれています。好きな山々が目の前にあるのです。あこがれの上高地の山暮らしを経験した私は東京に戻りとある大手のスーパーの就職試験を合格してしまいます。

晴れて1年ぶりの会社員に復帰します。成長著しいスーパー業界が私を救ってくれました。配属になったのは中央線沿線の83番目に出来た武蔵境店でした。武蔵境店は中規模の売り場面積でしたが当時から坪効率がトップクラスの売り上げを誇っていました。私が配属された衣料品の肌着売り場も常時売り上げがものすごく大変な活気のある職場でした。

4年間スーパー業界でお世話になった後、ようやくペンションの夢が実現できました。富士見町農協の金融課の課長さんが親身になって指導していただきました。融資の話もトントン拍子で進み家内の実家を抵当に数千万を融資してもらいました。当時の住宅ローンは7.5パーセントが相場でしたのでジョナサンの金利は9.5パーセントでした。なにも知らなかったので15年間走り続けそして農協の融資も全額返済してしまいました。今から思えば無茶苦茶です。夫婦二人の貯金は300万円、私の実家からは土地代の20パーセントを融資してもらいました。

今から思えば、昭和58年ジョナサンがオープンした時代は志しあれば夢が実現した時代だったのです。幸い17才の時に自分の進路を見つけた私は幸せだったと思います。そして私について来た奥さんはものすごいと思います。彼女には彼女なりの夢があったと思います。それを100パーセント私の線路を進んでくれたのでしたから。私の奥様は秋田出身の雪国育ちです。私が山歩きが大好きですがちなみに彼女は完全なインドア派です。二人とも犬が大好きな事が唯一共通していることです。ジョナサンでは初代のジョン、2代目ポンタ、3代目ポッキーそして現役の4代目ポッポがお客様と一緒にジョナサンを支えています。2011年1月11日

参考長野日報 21世紀へ さらば会社人間シリーズ18 最終回に新聞記者の書いた記事がトップページに掲載されました。ローカル新聞とはいえ新聞のトップページには驚きました。
長野日報第32044号

ジョナサンリレーエッセイ NO5

ピンク色『桜の森』

 ピンク一色『桜の森』に変身したのは、ジョナサンから車で約1時間あまりの上伊那郡高遠町の高遠城址公園にある 1500本の高遠コヒガン桜。19日は満開になり朝8時には、中央道の伊那インターから高遠城址公園まで早くも渋滞になりました。12時頃諏訪インター下車の新潟からのお客様は、杖つき峠経由で城址公園まで90分で到着。高遠城址公園は、東京方面の方は諏訪インター下車の方が少しの渋滞で鑑賞できそうです。ところかわれば中央線の信濃境駅から10分の高森観音堂の枝垂れ桜は1分咲き。ピンクの小さな花が特徴です。小淵沢のオオイト桜は満開。ライトアップされた神田の大糸桜はとても大きく夜空に映えています。大きな流れ星の鑑賞もできました。2003年4月19日

ネコちゃんの「七賢」生酒レポート

ジョナサンリレーエッセイ NO4

 ジョナサンから車で15分くらい走ると、旧甲州街道ぞいに、古い家が並んだ通りがある。そこの一角に、甲州の銘酒、「七賢」の醸造元、山梨銘醸株式会社がある。JRの小淵沢と長坂のちょうど中間地点ぐらいのところだ。  何よりもまず目をひくのが、入り口横につり下げられている、巨大な杉玉。直径1.5メートルくらいはあったと思う。そこでまず記念写真の撮影。入り口をはいってすぐ右側には、利き酒ができる部屋があるのだが、そこは後回しにして、まず内部の見学をする。それほど広くはない。それでも、家の中央の土間には、トロッコかなんかのレールがしかれていて、かつての商家のにぎわいをほうふつとさせる。利き酒コーナーのちょうど反対側、入り口の左手には、行在所(あんざいしょ)という8畳か10畳くらいの部屋がある。かつてここに明治天皇が滞在なさったというゆかりの場所だそうだ。  奥へ行くと、右手に井戸がある。酒の原料となる「伏流水」だ。ひしゃくにとって、ちょっと飲んでみる。うまい。ほんのりと甘くて、口の中をスルスルっと転がって、舌にスーっとしみこんでくる感じ。ちっとも尖ったところがない。まるい味、とでも表現したらいいのか。 いよいよ利き酒コーナーへ。長細い部屋の中央に長細い机がおかれていた。
ジョナサンへ来ると、ワインがおいしい。フルーティなドイツワイン(ナーエ産)が甘口で、とくにお酒の苦手な人や、女性でも飲みやすい。以上ネコちゃんの七賢レポートでした。


リレーエッセイ NO3

宝剣岳登山

今日は朝5時に起きて コットンさんと中央アルプスの宝剣岳と駒ヶ岳に登山に出かけて 来ました  1泊の予定で行ってきました しかし悪天候のため木曽駒ヶ岳の山頂に 立つだけがやっとでした  30メートルをこす強風 濃霧,,,,,,, 紅葉の写真をとるために 出かけたのですが 山は全然見えず 寒さに震えて下山しました 駒ヶ根インター近くの温泉 駒鳥の湯に入りました 夕方4時に疲れて戻ったのです 中央アルプスは 始めて入山して思った事は 3000メートル級の山に手軽に登れるということ ロープウエイの山頂は、おおよそ2500メートル 2〜3時間で宝剣岳と駒ヶ岳のピーク に着けます  今回の山行は装備もかなりしっかりしたものだったので 安心してたのですが 自然の前ではかないません。 9月後半が中央アルプスの紅葉のシーズンだそうです いつか又ここに来たいとおもいます  今回は温泉にのんびりして帰りました At 5:45 PM 96.10.7 +0900,


リレーエッセイ NO2

冬になりかけの札幌から

札幌もめっきり寒くなってきました。ストーブをつけている家も多くなってき ました。そちらも朝晩はストーブをつけているのでは? お客の入りはどうですか?いい季節なのでハイキングなどする人も多いので は? 先日、十勝連峰の白銀荘(登山者向けの小屋なんだけれど、温泉で風呂全体が 「おんこ」の木でできている。一泊がなんと家族5人で4500円(飯は自炊 だけど)。近くに「北の国から」で宮沢りえが入浴したので有名になった露天 風呂がある)に近所の家族と会社の中国人、カナダ人を連れて行って来まし た。6歳になったばかりの”あゆ”が往復6時間半を歩いてピークを踏むこと ができ、親を喜ばせてくれました。 今年は出張の帰りにでも寄ってスノボでも一緒にやりたいですね。 マレーシアの伊藤には教えてもらったメールでやり取りしています。 それではまた そういえば、広丘の会社の人(同じ年ぐらい)がキノコ取りに行って遭難し亡 くなりました。実君も気をつけてください。 私は実君と同じで不器用なのでコンピュータの仕事を長くやっているにもかか わらず未だに、キーを打つのがすごく遅いです。(会社で一番遅い) セイコーエプソン札幌事業所            田辺滋 


リレーエッセイ NO1

ジョンとポンタの大草原

大草原を知ってますか?ペンション村近くの牧草地をそう呼んでいるのです。 初めて大草原を発見した時、ほんとうに驚きました。 ジョナサンの周囲は一面唐松林に覆われています。 なのにそこだけは美しい牧草地なのです。 八ヶ岳.南アルプスそして富士山も望むことが出来ます。 四季を通して素晴しいドラマも演出してくれます。 特に野性の鹿がでる冬は最高です。 朝と夕方に餌を求めて大草原へやってきます。 今年は特に多くて、一度に十頭以上も目撃したこともありました。 もう心臓はドキドキです。 言葉にならない感動なのです。 いつもここへは私の相棒犬のポンタを連れていきます。 実はこのポンタ、1986年12月6日に 樺太犬のジョンから生まれた最後の小犬なのです。 お母さん犬のジョンはポンタを一生懸命育てた後、1987年2月12日に天国に旅立ってしまいました。 ジョンもこの大草原は一番気に入って、何度となく散歩に行きました。 ジョンはよくモグラの穴を見つけては鼻をくっつけて息を弾ませていました。 ところが鹿を発見したときは、今までに見たこともない速さで大草原を走りました。 ジョン、ジョンと何度となく呼んでも、振り返らずにその後を追跡します。 でも野性の鹿はジョンよりも速く、特に森の中では比べものになりません。 ジョンと鹿の追いかけっこを見てると、まるで映画のワンシーンを見ているようです。 そしてその子のポンタといえば、いきなりスーパーマンのように駆けぬけてしまいます。  その力強さといったらまったく脱帽してしまいます。 大草原で、空を見上げると、母犬ジョンが雲に乗って話しかけてくるようです。 「大草原さんありがとう、ポンタをよろしくネ」冷たい八ヶ岳降ろしが、大草原を走り抜けました。
   1996年12月29日  安藤 実 

ジョナサンでは、皆さんのエッセイを募集しています。テーマは自由です。お気軽にメールにて投稿してください。みんなで、待ってます。

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〒399-0101 長野県諏訪郡富士見町富士見高原ペンションビレッジ

1996年12月29日製作  安藤 実
2011年1月11日追加更新