『ジョナサンけむり写真集幻のSLたちより』
1999年1月25日製作 ジョナサン
函館本線急行『ニセコ』C62型蒸気機関車は憧れのマドンナ
ポンタとポッキーのローカル線の原点が冬の北海道の遠征ツアーでした。16日間を20000円の総予算で出かけました。当時の北海道周遊券は学割と冬期割引を利用すれば、6080円の交通費ですみました。もちろん新幹線もないので、上野発の急行八甲田を利用しました。朝盛岡駅で乗り換えて、花輪線の龍ヶ森へ途中寄り道しました。花輪線は8620形式通商ハチロクのSLが元気に貨物列車を運転してます。夕方までロケハンして青森に到着する頃は真夜中すぎ。ここから憧れの連絡船に乗船です。ようやく4時間あまり体を横にして寝ることできます。ただひたすらねます。たとえ隣で可愛い女子大生がおしゃべりしていてもいっさい無視してます。なにしろ眠いのです。明日は大沼公園で函館本線のD51 D52 C62蒸気機関車が私を誘惑してますから。
『ニセコ』とレンタルスキー
右上の写真は、ニセコスキー場で有名なニセコ駅付近です。ここで始めてスキーを体験しました。もちろんレンタルスキーです。それもエッジ無しのスキー板です。料金は500円位だったと思います。スキーウエアー等はなく、ジーパンとジャンパーです。リフト等には全然目もくれず、ひたすら直滑降の繰り返し。でもたのしかった。昼食を食べる時間がもったいないので、ただゲレンデをスキー板を担いで登り、直滑降の繰り返し。1970年12月30日撮影
C62-2号ニセコの運転は職人芸
札幌行き下りニセコ号です。先頭の機関車は憧れのマドンナ『C62-2号』スワローエンジェルです。 かつては東海道本線の特急『つばめ』を牽引したC62型蒸気機関車 C62重連で運転されていた。かつては「ていね」と呼ばれていました。「ニセコ3号」です。末期は編成も短くなり多少楽になってはいたが、それにしても大型高速機の能力を一杯に使った凄まじい仕業だった。 長万部から小樽まで3つの大きな峠を、息つく間もなく駆け抜ける。現代の労働条件ではとうてい許されないような過酷な状況の中で、機関車や線路を守り、運転していた「職人」達がいたことを忘れないでいたい。
『C62-2号ニセコ』は日本国有鉄道時代の花型機
C62形2号機は1948年から1949年の間に49両が製造された超大形の旅客用機関車です。D52形のボイラーを流用して製造されました。東海道本線の特急「つばめ」、北海道・函館本線の急行「ニセコ」をけん引したことでも有名です。当館の機関車は、糸崎や小樽などに所属していたもので走行距離は260万キロになります。
形式 | 号 | 製造所 | 製造年 | 全長 | 重量 | 動輸直径 | 最大出力 | 最高速度 |
C62形 | 2号機 | 日立製作所 | 1948(昭和23) | 21.4m | 143.0t | 1,750mm | 2,163ps | 110km/h |
函館本線・夜の倶知安駅に停車中の急行ニセコC62型蒸気機関車は東海道線の特急”つばめ”を牽引したスワローエンジェルを見たいいっしんで、冬の北海道へ15日間のSLツアーが始まりました。
ニセコ付近を疾走するC62重連『急行ニセコ』函館行 ジョナサンけむり写真集NO1より
1970/12/30 12/31函館本線 安藤 実撮影
1999年1月25日製作 2010年11月8日 2019年5月18日更新