宮之浦岳は 九州最高峰
世界自然遺産 日本100名山 1975.3.8撮影 |
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信州八ヶ岳富士見高原にやってきて27年。ジョナサンアルバム『けむり2号』がホールの片隅に置いてあった。なにげなくページをめくってみれば1975年に登山した宮ノ浦岳の写真があります。懐かしくついつい昔の記憶をたどってみることにしました。アルバムの白黒写真をデジカメ画像に修正しました。縄文杉が窮屈そうです。この頃は縄文杉を触れながら雪の残る宮之浦岳に向かってました。 |
屋久島 宮浦岳 まずは、東京から鹿児島までの交通手段の疑問でした。どうしても思い出せません。鹿児島からフェリーで屋久島に渡ったことは今でも鮮明に覚えています。出発から到着までデッキにいました。まともに潮風を体中に感じていました。この島を訪れることにした理由の一つは、ここのところこだわっている海抜0mからの登山を行うためです.
離島の山では海岸から登れば登山道の入口となる町の海抜は ほぼ0mです.したがって頂上の標高は、そのまま登らなくてはならない標高差となり、すべてを自分の足で制覇した満足感を得ることができます.屋久島に行こうと思ったのは、九州で一番標高の高い山だから。そんな単純な発想からだ。屋久島は屋久杉と雨で有名である。杉は屋久杉と呼ばれる樹齢300年以上の大木がわんさとあった。これは雨量がけたはずれに多いいからだそうだ。屋久島は月に35日雨が降ると言われる程、とにかく雨が多いいのだ。しかし毎日が雨ばかりでない。10日間も晴天が続く日もたまにあるそうです。樹齢1000年以上の巨木の屋久杉が島のあちこちで見る事ができました。さて1975年の宮浦岳は山頂付近に80センチの積雪がありました。それでも例年に比べて雪が少ないと言われました。山頂にたどり着くまでずいぶん雪に苦しめられました。
屋久島 宮之浦岳へは1975年3月8日登頂に成功しました。後に屋久島が世界自然遺産に登録されたことは誠に素晴らしいことです。屋久島 バンザーイ
屋久島 こぼれ話し 1975年当時
平内海中温泉の話を尾ノ間の地元の方から聞きました。当時は温泉ブームでなっかたせいか、
地元の女性達はめったに入浴しない。そして地元の男性もばかばかしくて入浴しない。結局、
利用者は旅行者だけだったそうです。
屋久島には露天風呂、うち風呂合わせて6カ所の温泉がありますが、その中でも海岸にあり
干潮時4〜5時間以内しか入浴できないというユニークな温泉が平内海中温泉です。
島の人は、干渉時をしっかり把握しているので、入浴ができるころになると湯船に人が増えていきます。
脱衣所はなく、共同浴場という性質から水着や下着での入浴は厳禁です。
1975.3.7トロッコ道を歩く
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小杉谷山荘で名古屋大短大のワンゲル |
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屋久島名物 平内海中温泉
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モッチョム岳をバックに
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みんな宮ノ浦岳に登頂成功!!
鹿児島大学4年の待鳥さん11日(左) 名古屋市立大学のワンゲルメンバー10日ジョナサンのオーナー3月8日登頂 |
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1975.3.8 屋久島宮之浦岳登頂成功 |
登頂メンバー鹿児島市内で
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一つの山にこれほどエネルギーを注いだのかあらためて感激しました。お金がないぶん人々の心の交流が十分ありました。おまけに腰まで雪に悪戦苦闘しながらついに九州最高峰の宮ノ浦岳の登頂に成功できました。後に屋久島が世界自然遺産に登録されるとはしらず。一人の若者は屋久島の自然の懐深く入り込んでいました。 |
世界自然遺産屋久島までの
コースタイム 東京発の急行桜島で鹿児島へ あまりの長時間で記憶がなくなる 東京第1日→西鹿児島 |
※ジョナサンではポッポ、スタッフと一緒に里山歩きを楽しんでいます。一緒に里山歩き(登山)をご希望の方は、遠慮なくご連絡下さい。夏休みをのぞいた平日に実行します。みんなで待っています。
今回の登場メンバー
安藤 実(P.ジョナサン 鹿児島大学 待鳥さん 名古屋市立短大ワンゲルメンバー 安房YHの罰ゲームめんばー、モッチョム岳探検隊メンバー 平内海中温泉同好会メンバー 縄文杉とトロッコ道探険の福岡教育大メンバー